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『ライバルの手脚を切断して甕で飼う』→嘘。西太后は決して証拠を残さない。この理論大好き。
西太后の弟のひ孫が、中国でご健在ですが、西太后のやって来た事が原因で、進学も就職も結婚も自分の希望が叶わず、現在はアパート暮らしで、国営となった西太后の庭園で、働いているそうですよ。
可哀想だ
可哀想やとは思うけど、私なんかが声をあげても何も変わらんのやろなって思ったら結局何も行動できへんわ。笑
滅びた王朝の子孫は直系どころか傍系ですら辛い思いするのね。
オリジナル庭園が、共産主義下で破棄ではなく国家管理かwそして子孫は冷や飯食らい中国人と共産主義は相変わらず一貫せず金のことだけそう言えばクレムリンも同じだな
生まれてきた子供にはなにも罪はないのに…(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)
こう言うの見ると、明治天皇が独り立ちできる程度に大人で、変化を受け入れられる程度に若かったのも明治維新成功のキーポイントだよなあ
後、日本人の気質も多分にあるよね武士政権時やGHQでさえ天皇陛下を廃位させたりしなかった日本人にとって天皇陛下は侵さざる精神的支柱だった事の現れでもあるしねだからこそ、日本人は天皇陛下を侮辱されることを極端に嫌う
明治天皇は父である孝明天皇の影響もあってか西洋文明が好きではなかったが、日本のために公ではそれを受け入れて西洋的な君主を演じた。しかし、本音は西洋文明が好きではないので宮中では夜でも電気を使わずにろうそくで生活していたほど。私利私欲で動かないのが同じ時代を生きた西太后との違いだね。
自ら率先して断髪されたり日清戦争の大本営のために広島駐留されたり至極質素な食生活をされたり暖房すら節約されたり私費で軍費をまかなったり自殺しようとする乃木を諌めたりほんま現人神やで
明治天皇ってそんなに尽くしてくださっどったんか…
明治天皇一人で国家がどうにかなるほど日本は前近代では無いですぜ。それに明治天皇は日清戦争の開戦に激しく嫌悪感を抱いており、「これは朕の戦争にあらず」と怒ったのは有名な話。明治天皇でどうにかなるなら、日清戦争は開戦されなかったな
シャネルさんは『化粧するよりお風呂に入って清潔にして身だしなみを良くしなさい』と極度の風呂嫌いのフランス人権力者達に提言したある種の偉人だから(化粧業界はまた別のプロフェッショナルな女王達が)
西太后が軍事費を庭園作りに流用したりして清を内部からボロボロにしてくれたおかげで日清戦争楽勝だったから日本にとっては有り難い人だな。
軍事をおろそかにするとだめっていう例でもあるね・・・。
@@香鹿-u4g まぁ逆に軍事を優先し過ぎると約半世紀後の大日本帝国みたいになるからバランスが大事。
歴史の本にも「日本が知らないうちに所有していた最終兵器」と書かれてた…。
@@keyyou1274 とはいえ・・・バランスよくできるのってせいぜいアメリカくらいだからな・・・。
@@オーウェルジョージ-b3f 第二次世界大戦の時の牟田口と同じ扱いで草
中国全土から巨根男性をかき集めたエピソードはやはり英雄だなと思う
英穴だ
後宮では西太后の為の調理場が九つあって、それもご飯を炊くだけの調理場、麺類を作るだけの調理場、肉料理だけの調理場、野菜料理を作る調理場、お菓子を作る調理場、特に好きなアヒル料理一品を作る為の調理場なんかがあって。24時間いつでも出せるように用意されていた。それでも本人はあまり食べなかったので、ほとんど無駄になったそうだ。
好物は北京ダックの皮だったと昔、何かの番組でやっていました。まあ、美味しそうなんですけど…。
ちなみに常日頃「汽車は孔子さまの乗りたまわぬものなり」とうそぶいていたが、義和団の乱終結後避難先の西安から初めて鉄道で北京へ帰還して鉄道にハマった。奉天の皇帝陵参拝でお召し列車仕立てたが何両もの食堂車連ねて山海の珍味を味わいペットの犬にも食べさせたらしい。
他2人と違って西太后はけっこう最近の人なので記録が生々しくてリアリティがありますね
独裁者はなぜ「誕生祝」がこうも好きなのか…
国を近代化させる為には国民の「識字率」はかなり重要・・・
国全体の底上げが必要だし、そのためには「エリート」だけでは限界があるからね
日本の場合は、平仮名カタカナがあったから良かった。
漢字の弊害は魯迅など近代知識人が嘆いている
かと言って文字を表音記号だけにしてしまうとどこかの国みたいになる
@@金澤華 死ぬときに「漢字が滅びなければ中国が滅ぶ」って言ったそうで
日本にとって幸いだったのは、幕府側も討幕側もそれなりに危機感と改革の意志は持ってたことだな。無論欲や因縁も無かったわけではないけど、それでもある程度抑えて互いに形にした。
保守的な佐幕派の政治家や藩ですら近代化に努めていたしな。江戸幕府って鎖国はしてたけど、海外の情報収集自体は熱心にやってたからそれもあったのかも。
清朝は中華世界を武力で制し周辺のモンゴルチベットトルキスタンを下し中華王朝としては屈指の版図にした満洲族が建国した王朝ゆえの慢心はあった。
世界情勢が見えていないと言う意味では幕府に攘夷せよと迫った朝廷だな似たような外国勢力排斥は清朝朝鮮越南ビルマでも起きているが悉く失敗して排斥どころか口実を与えて外国勢力に蹂躙される事に
それなりどころでは無くどちら側が勝っても日本の近代化は既定でして争っていたのは飽くまでも主導権争いでした徳川慶喜はまんまと出し抜かれた訳ですが、負けを認めて抵抗せず無血開城したから余力を残して西洋列強に対峙する事が出来た…梯子を外された幕臣は溜まった物では無いでしょうけど西太后の真逆で何処までも広く俯瞰して情を排した冷徹な判断を下すのが徳川慶喜と言う「世間的には敗北者扱いされた傑物」なんですわ
そもそも近代化を始めたのが西太后なんだけどね。曽国藩や李鴻章ら漢人官僚を重用して洋務運動を進めたが、有力漢人官僚によって軍閥の形成が進んだためブレーキをかけざるを得なくなる。それでも結局、清は袁世凱らの軍閥によって滅ぼされてしまったけどね。このあたりって高校生の教科書レベルだと思うが・・障害は西欧列強だけじゃないんだよ。絶妙のバランスを保たなければ、瞬時に崩壊してしまうのが当時の清。
その時代に生きていた人には悪いけどこういう人が居ると歴史を勉強する上で凄く興味深くなる
西太后が若い頃は貧しかったらしい。 お金に困っていた頃、大金を届けた男がいて、そのおかげで助かった。 権力を手に入れた西太后が大金を届けた男と再会、その男は大金を盗んだ罪で投獄されていたのだ。 実は男は間違って大金を届けたのである。 西太后はお前のおかげで助かったと、男を牢から助け出し恩を返したとの話もあります。
郵便屋さんが配達先間違えたそうで。
何かの再現ドラマで見ました。本人ではなく母親だったけど、そのおかげで今の自分がいるといって、お詫びに自分が履いていた沓を片方渡した。オークションか何かでめちゃめちゃ高値で売れたらしい。
光緒帝は2007年の研究に於いて、その頭髪から致死量の砒素が検出され毒殺だと結論付けられたそうですね。ただ、誰の仕業かは依然として不明なようですが……
特番で浅田次郎さんが向こうの研究者から光緒帝の毛髪からヒ素データを検査し、その結果に驚いた場面があったね。
光緖帝の頭髪が残ってたりするのかー清の皇帝でも意外に現代に近くてロマンある
若くして亡くなっているからポニーテールくらいの毛髪量はあるよ
帝のご遺体(の頭髪)を調べたところ、致死量を「遥かに」上回る砒素が検出されたね。それにより毒殺はすでに結論となっている。誰の仕業かについては、直接毒を盛ったのは西太后じゃなかったとしても、彼女の関与は間違いないと思われる。何せ毒殺による光緒帝の崩御は西太后の死の1日前なので、偶然として片付けるのには無理がある。しかも光緒帝はまだ相当若かった。西太后が自分の死を悟り、自分の死後の光緒帝の復権を阻止するために、自分が死ぬ直前に光緒帝を殺害し、赤ん坊だった溥儀(宣統帝)を光緒帝の後継に指定したというのは定説となっている。どこまでもどす黒く強欲な稀代の悪女ですよ。。。
火葬にされた溥儀以外は大体DNAが残ってるのではないかと。
ラストエンペラーの冒頭にも西太后は出てましたね
中島みゆきの「悪女」がただの善良な女性にしか見えない。
「蒼穹の昴」の田中裕子の演技がすごかったなあ。大好きなキャラクターだけれど、それでも擁護しきれないという。
同意です!数ある西太后ものでは田中裕子が断トツ。
西太后取り上げて欲しかったです。ありがとうございます。
西太后って近代の人なんだよなぁ、怖いわ
もっと最近だと江青もヤバい
西太后さんは、中国悪女オリンピック100m走で2位に80m差で圧勝するかのような凄まじさですね。
満洲族は纏足しない漢族出身妃はしていたはず
・安得海事件(西太后お気に入りの宦官が廷臣たちと組んだ東太后に殺害された事件)では手も足も出なかったこと。・庭園事業はむしろ歴代の皇帝の威信を利用したい光緒帝の意向が強かったこと。・この人による人物評価は容姿ばかりで内容が全く伴っていないこと。・百日維新までは「とっとと楽隠居したい」と言う意思が強かったこと(明らかに守旧派に担がれた)。・中国史の皇帝に顕著な「臣下による簒奪」への警戒が全くなかったこと。権力掌握(辛酉政変)から日清戦争、義和団事件と擁護のしようは全くないが、武則天のように男性的な独裁者になりたいと言うより愛新覚羅家内での地位だけしか考えてなかった後宮女性だったのが実像かな。いいように責任を押し付けられた感じはする。
10:17 残念ながら光緒帝は恭親王奕訢の子ではなく醇親王奕譞の子なのよ
うちの親戚に母親が強権すぎる家があったんだけどそこの長男が早死にしてしまったから呂雉も則天武后も西太后もたぶん暗殺じゃなくて精神がもたなかったんじゃなかなと思う
実際、人豚を見せられた恵帝はショックで酒に溺れてしまい、若くして病死してるしね。
うちは先祖が百済の王族という言い伝えあるんで、武則天は先祖の仇
映画「ラストエンペラー」にも登場していたね
17:30 俺の世界史全シリーズでこの瞬間より面白い場面は、いまだ存在しない笑語り手の勝ち誇りっぷりと口の動き方のシンクロ感が秀逸すぎる
「んなわけねぇ~じゃ~ん」頂きました。
蒼穹の昴という作品がなかなか面白いのでおすすめです。フィクションなので事実と異なる部分も多々あると思いますが、当時の中国の雰囲気や今の拡張主義の根幹に関わる部分が感じられるのがいいですね。
1835年は坂本龍馬・士方歳三.・篤姫が生まれた年でもある
宮廷内では化け物みたいなのに世界情勢がまるで読めないって、宦官の趙高を思い出したわあいつも始皇帝が死んだ後やりたい放題してたけど、反乱軍の動向とかほとんど無視してた気がする
趙高のエピソードがホントに趙高のものなのかは少し疑わしい部分もありますけどね。他の人の悪事もすべて趙高に押し付ける事で、秦の滅亡を正当化する材料にされちゃっているような可能性も無きにしも非ず(´・ω・`)
西太后の頭からあめ玉出てきそうだなぁって思った。
スターリン頭悪そうで草
真珠飲んでたんだっけ。
トゥールルットゥルルトゥールルットゥルルルールールールールールルー「皆さまこんにちは、孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇熙配天興聖顕皇后の部屋のお時間です」
近代史はやっぱ面白いなあ! 中華がさっさと近代化していれば世界史も日本を含むアジア史も大きく変わっていただろうし現代に至る欧米の覇権はここまで強くなかっただろうな。
楽しみにしてた!
軍艦を購入されるために宮廷費を切り詰められたり兵士と同じ食事を摂られた明治大帝のような立派な君主を戴けた事は日本人として誇りに思います‼️
軍艦を購入するために切腹覚悟で資金の流用を行った大臣もいますしね。
明治天皇が宮廷費を削ってでも購入するよう指示した軍艦は2隻の富士型戦艦です。当時の清国北洋艦隊が保有する定遠級装甲艦と比較しても破格の戦闘力を持つ艦でありました。しかし、日清戦争に納品が間に合わず、連合艦隊は装甲巡洋艦ですらない松島型防護巡洋艦を連合艦隊旗艦にして戦うことになります。
とりあえず皆殺しで邪魔者を廃することによって恐怖で他を抑えつつ相対的にも絶対的にも地位を上げるやり方!歴史的にも稀なほどの「小物界の大物」なのである!
ハリー・パークスやアーネスト・サトウといった、英国の外交官は、西太后(慈禧太后)を、どのように見ていたのだろうか。
饅頭の上下運動が早すぎて酔います。もうちょっと遅くしてもらえると嬉しいです。
昔テレビでやってた西太后と続西太后がトラウマレベルに怖かったように記憶してる。でも、時々見たくなるんだよなぁ。
ニフオルじゃなくてニオフル氏じゃなかったっけ、、?紐祜禄氏
「女性としては化粧をしなければ生きている甲斐がない」「私は女だし、女であることを楽しんでるわ」と言ったマリリン・モンローの名言でもおかしくないんだけどなぁ…言ってることは素敵なんだけどなぁ…言葉自体はカッコいいんだけど…
【事実訂正】日本で「西太后」と呼ばれる晩清の権力者の本名は「慈禧」ではありません。慈禧は徽号(皇太后の尊号)であり、彼女のことは中国語では「慈禧太后」、英語では「慈禧太后」と同じ意味の「Empress Dowager Cixi」と呼ばれます。慈禧太后の本名は明らかではなく、「杏貞」という説もあるが信憑性が薄く、確かな事実は「葉赫那拉」という氏と「蘭児」という幼名だけです。そのため(本名ではありませんが)彼女を葉赫那拉蘭児と呼ぶ人もいます。
「せいたいこう」だったんですね。ずっと「せいたいごう」って読んでました(///∇///)ゞ主さんは発音にもこだわって動画作成されているので本当に勉強になるし、とても面白い。
私もずっと「せいたいごう」と呼んでいました。何しろ日本では「こうごう」及び「こうたいごう」様ですからね。でも「女官」は「にょかん」では無いのですか?昔の人間なので、RUclipsの若い人達とは違うのか?と思う程です。何しろ私が習った漢字の送り仮名が、二通り有って何方でも良くなって居ます。手元に(ど忘れ)漢字字典を置いてあり、読み方と送り仮名を確認して居ます。
両方の読み方があったはず・・・どちらでも良いと思う
皇后(こうごう)は濁るけど、太后(たいこう)は濁らない。でも皇太后(こうたいごう)や太皇太后(たいこうたいごう)は濁る。三后(さんこう)准后(じゅごう)のように濁ったり濁らなかったり・・連濁には一応の決まりはあるけど例外だらけで、絶対的な法則はないし、誰かが決めるわけでもない。こんなものは、どっちでもいいんだよ。
そもそも中国語の発音ではxi tai hou(シータイホウ)なので読み方に正解も不正解もないと思います。
清がこういう有様では、福沢諭吉が脱亜入欧を説いたのも気持ちは理解できる。
二十世紀の朝鮮も清もオスマンも保守的な人たちの影響力が強かったので、近代化を目指した福澤諭吉からするともどかしい思いがあったのでしょうね。
ちなみに福澤はかつて清の康有為や朝鮮の金玉均を応援していました。しかし、彼らは同族に処刑されました。福澤はこれを見て、絶望したと言われていますね。
他の動画で見た記憶があります。特に金玉均は遺体を辱められたとか。近代化を全否定した上、有為の人材を惨たらしく殺す残忍さに失望した事も「脱亜論」に繋がったのでしょうね。
李氏朝鮮の金玉均は本当に有能な人だったけど閔妃と袁世凱の妨害で日本に亡命した福沢諭吉と親交があった金玉均は上海で暗殺され、凌遅刑にされた後に遺体は犬に食わされたそれで中国朝鮮に絶望した福沢諭吉は脱亜論を書いたと言われる
@@noha8350 朝鮮の清からの独立を説いた金玉均は幕末の志士と似たようなものを感じるが、彼の言う日本・朝鮮・清が同盟して欧米列強に対抗するというアジア主義は非現実的なんですよね。だから当時の日本政府は金玉均を担ぎ上げなかったし、むしろ邪魔な存在と感じていた。彼がもっと遅く生まれていたら大東亜戦争期にアジア主義が反主流から主流派になったので活躍の場が広がったのではないかと思う。
本人はこれだけ好き勝手やって天寿を全うして、何の責任も取らない。さぞ楽しい人生だったでしょうね(苦笑)
ただ本人的にはこれでもまだ理想(清朝史上最高に幸せな母親と言われた乾隆帝の母崇慶皇太后の享受した贅沢)には程遠いと憤っていたんだそうなww
@@yupoz8224 初めまして。返信ありがとうございます。そうなんですか!人の欲には限りがありませんね!笑
コメ主の知る限りでは、唯一、浅田次郎さんの小説、蒼穹の昴が、架空の側近宦官春児の視点から、西太后を良い人物として描くというスタイルをとっていますね。
蒼穹の昴という日中合作ドラマで日本人である田中裕子さんが西太后を演じた時点で現代中国でもどんな存在かわかるな
そのころから中国は権力者が己の利益ばかりで都合の悪いものは排除する姿勢は微塵も変わってないと思う。
ぜひこのチャンネルで、香港近現代史を取り上げて下さいますでしょうか。最近また周庭さんのことが、ニュースになっているので。
確かに見たい
0:23 おかあさんといっしょのうーたんを彷彿とさせる髪型
😂😂😂
西太后がいなくなったあと蒋介石、毛沢東がでてくるのか
この後1912年の辛亥革命で清がつぶれた後、C国は内戦状態になり、日中戦争を経て内戦に勝利したのが毛沢東率いる中国共産党。
自身の美容が第一と言うがそれでコレなのかよ……
自分の容姿に劣等感が強いと美容に固執しますねそういう人物に迫害された美人は自虐的になりがち整形依存とかは美人が多いのはブスに嫉妬されたから、なんですよね
@@km2359 美人なのに自分の容姿に劣等感があるとかこれ分からねぇな…。文章崩壊してますよ。
@@まぬけ-g8f 綺麗な人が容姿のことでコンプレックスを持つのはよくあることなので文章崩壊してないと思います
蒼穹の昴によれば、51歳当時の西太后に拝謁した新人官吏3人の目には10は若く見えたとあるんですね。あくまでも浅田次郎さんの創作ではありますが、城外の庶民女性に比べたらやはりエイジレス効果はあったと感じます。
日清戦争の裏話がきけて勉強になりました。
詳しく教えていただきありがとう!!
蒼穹の昴を読んで西太后を知ったので、悪女と謗られながらも清を支えた中華のお母さんってイメージを持っていました。蒼穹の昴シリーズで西太后評価していた浅田次郎スゲェー(笑)
頤和園行ったな……綺麗だった
映画観ました。あれでもフィルターをかけていたんですね。
西太后は最後に「二度と女に政治をさせてはならぬ」と言ったとか言われているが。まあこれは作り話だろう。(笑)
中国の殷周革命での妲己やヘーシオドスなど、東西を問わす色仕掛けで「男を惑わす女」と関わると身を滅ぼすのだ。
権力者の嫁が更なる権力を求めて権力闘争をするという伝統が毛沢東の嫁にも引き継がれます
西太后が仮に最善の選択を常に取っても清は無理ゲーな気がするが。
流石にもう少しマシになってただろうね
ありがとう。面白かった。
09:34~「西太后は激怒した」この暴虐邪知な…あれ?
「西太后」の読みは基本的には「せいたいこう」だが、映画「西太后」の題名の読みは「せいたいごう」になる。ホントは映画のタイトルの読みも「せいたいこう」だったのだが、日本で封切前(多分、日本語の吹き替えを入れる時)に誰かが「せいたいごう」と間違って読み、「せいたいごう」の方が音感が強くて迫力あるんじゃね?ってことで映画のタイトルの読みや映画内での日本語吹き替えでは「せいたいごう」になってしまっただから映画の印象の強い人は「西太后」を今でも「せいたいごう」と読むことがある(´・ω・`)
本来「太后」は中国読みだと「タイホウ」なので日本語で「たいこう」だろうと「たいごう」だろうとどちらでもいいのでは?
「相互主義」と言って漢字文化圏の有る意味特殊な暗黙の了解です。中国人が日本人の名前を中国語の音で発音する事に異議を言わないのと逆に中国人名を日本語読みで言う事にもお互いの国で批判はしていません。毛沢東(もうたくとう・マオツートン)習近平(しゅうきんぺい・シーチーピン)と言った感じ。
@@comugichan2189 いや、だから正式な日本語読みが「せいたいこう」だったのよ。
>正式な日本語読みが・・・無知丸出しの知ったかで草
可愛そうにひ孫に罪はないのに気苦労して生きているなんて
17:30で大笑いさせていただきました。「中国三大悪女筆頭」ってもはやノリが男塾ですねw「女とは何ぞや!人生とは何ぞや!返答せい!」
さしずめ、この動画見てると、女とは化粧、人生とは我が娯楽、他者はティッシュですかね。
霊夢の顔w
日本の場合は、明治維新以前から朝議など疑似的な議会があったため議院内閣制も意外にフィットした。そもそも、日本の天皇陛下は国家統合の象徴であって絶対権力者ではない。歴史的に見ても、君主と諸侯の権力バランスが安定的だったから政治体制の改編も用意だった。一方の中国歴代王朝は、いい意味でも悪い意味でも絶対権力だけにいざ改革するともう前王朝を滅亡させないとできないケースが多い。結果、清王朝は滅ぶべくして滅んだ。
清でやったら国が崩壊するか植民地になるような大改革ですよ。日本の明治維新は奇跡ですよ。 日本の近代化は日本が「神州」だと思えるぐらいの天からの幸運と日本人の努力の結果です。ヘシェンを代表とする、国の隅々まで汚職者にまみれた清にできるとは思えない西太后もそれをわかってたからか、国内制度の改革はあまりしなかった。(洋務運動)ただ、日清戦争に敗北したから康有為がしゃしゃり出た。戊戌の政変を起こしてこの無能売国奴を追放できた。(ついでに騙された帝も幽閉した。)義和団事件の西太后の対応はさすがに擁護できんが(民衆にはあがめられたとはいえ)日露戦争での結果を受けて、「日本語とときが露助に勝った」ため、国内制度の大改革を決定。(国内反対派もさすがに黙らせられたのでしょう)しかし、これはもはや焼け石に水で、清は救えずに彼女の死後につぶれた。
ココ・シャネル「流石の私でもここまで酷くねーよ!!!!!」
浅田次郎さんの『蒼穹の昴』シリーズを読むと、西太后が悪女だと思えなくなるんですよね笑どちらかというと悲劇の女性に見えてくる···
悪女かどうかはともかく、有能な政治家ですよ。戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断です。当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。
呂后や則天武后と違って何一つ評価出来る点がない…
浅田次郎の影響で一概に悪だと思えなくなってしまった、、、
呂雉や則天武后はまだ理解できる部分や役に立った部分もあるけどこの人は徹頭徹尾国の邪魔にしかなってねえ...
ある意味日清戦争における日本勝利の立役者この勝利のお陰で日本は欧米列強の仲間入りができた
失礼ですが、西太后に関して国の邪魔という事実を教えていただけますでしょうか。戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。西太后の政権簒奪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。貴方の言う国の邪魔という具体的事実が知りたいです。
@@akikawa2540 え、日清戦争時に自国の国防費を横領して誕生会を開くとか・・・清の立場からすればたまったもんじゃないだろう別に自分の財布から出したのなら誰も文句は言わなかった貴方が仰ってる事は全部後付けの綺麗事でしかないよ実際、欧米化を上手いこと取り込んだ明治維新は成功し日本は、列強国の仲間入りをしてる清もポテンシャル的には十分可能だったそんな観点から見ても西太后の方が余程売国奴だよいや、比較したら売国奴に失礼か
@@陰キャな剣聖 いやいや、この時期に清国は国防予算を設備投資して海軍力の強化を図っています。定遠や鎮遠などの、日本とは比較できないほどの大型の主力戦艦2隻を購入してそろえています。一方、国民生活だって、ある一定上のレベルが無いと継戦能力は持てませんから、国民経済の活性化を図るのはバランスを取る上で重要ですよ。惜しむらくは人的投資の投資がおろそかになっていた点です。豊島沖の海戦で、高陞号を雷撃された経緯からして、国際法に精通した将校すらいなかった状況ですから、この点は反省すべきです。あと、国民経済を潤すのに、自分の懐とか国家予算とかは無関係ですよ。故松下幸之助氏(松下電器創業者)が、昭和恐慌の際に経済を回すのに寄与するため、自前で自動車を購入した話がありますが、頤和園の工事は国家予算的な公共投資であり、恩恵を受ける範囲も広いです。所得をもらう人民にとって、誰の金であろうとどうでもいいですから。
@@akikawa2540 そう考えると日本と清の差って何だったんだろうな同時期に欧米からのコンタクトがあり一方は明治維新を成功させて列強国の仲間入りをし一方は皇帝制が廃止されて国家体制がガラッと変わってしまっている
浅田次郎はなぜ、蒼穹の昴シリーズでこの西太后を天才、神のような慈母として描いたのだろうか?読んでいて、気持ち悪いほど持ち上げてて、浪花節だったなぁ。愛深き故、光緒帝を幽閉し、自分がすべての世間の悪意を受けとめて、光緒帝を守り、自分の死と共に殺害した・・・みたいな描き方をしていた。
ある種天才なんだろうな
映画で予告に恐ろしいの出て映画は見る勇気なかった
ニホウルではなくニオフルでは?
清仏戦争は清とベトナムは善戦したよ(特に陸軍) その証拠にフランスは政権が倒れてるフランスは外交で勝っただけ海軍は李鴻章が援軍に行かなかったのとドイツから買ってきた戦艦が到着しなかったのが原因で負けた。
今映画でしている天外者で日本がどのように変わっていったかはよく描かれている
近年、西太后の再評価の動きもあります。今の悪女のイメージは列強諸国の印象操作が大きいです。アメリカに移住した侍女の回顧録には、人間らしい面の方が大きいです。また、死に際に「女を為政者にしてはならない」と遺言も残してます。個人的には、国内の権力闘争などはありましたが、列強の植民地にならないで済んだのは、西太后の政治手腕も大きかったと思います。西太后がいなければ袁世凱などが藩王などになって列強の食い物にされていたでしょう。しかし、そうした側面も中国大陸でさえ、印象操作されたイメージだけで感情的に評価され続けてます。
感謝
16:37もう日本のスパイだったんじゃないかってくらい滅茶苦茶な事して日本側を有利にしてるな…
日清戦争の時の西太后の行動見て思わず、明治天皇と維新志士たちに勝てるわけねぇ!と絶叫しそうになってしまった。
維新志士あがりの陸奥宗光大使(元坂本龍馬側近)にはこれがわかっていました。だから無理にでも戦争をけしかけたのです
この人清で何かあると皆全て私のせいにする、とかも言っていたそうですね。ひょっとしてこの人なりに政治やってたのかとも思えますが頭が古過て我が強過ぎるんですよね、だからどのみち悪女の評価は逃れられないというのが今の僕のこの人についての見方です。
失礼ですが、頭が古過て我が強過ぎるという事実があれば教えて欲しいのですが。戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。西太后の政権簒奪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。貴方によると、頭が古過て我が強過ぎるとありますが、その意見には違和感を感じます。
@@akikawa2540西太后が彼女なりに清即ち中華を憂いていたこと民衆から支持を得ていたことはまぎれもない事実です、そしてその為に動いていたことも。その贅沢も列強に中華つまり中国の豊かさを見せてとても飲み込めない国であることを見せて国を民を護ろうとしていたこちう説も聞いています。そして満人と漢人の融和をこれまでの清以上に進めていたことも。僕個人がこの人について調べると意外に肯定的好意的な文献が多かったことにも驚きました。そのうえで僕も自分がすぐに批判されるという彼女自身の言葉を書かせてもらいました。 ですがこの頃時代はかなり動いていた訳で。やはり清は立憲君主制になるべきだったかも知れない、それを考えるにこの人はやはり古くまた我が強かったのかもと考えるのです。残念なのは十九世紀以降政治システムが著しくその形を変えていることでしょうか、西欧基準に。当時はどうしても西欧が中心なので清のことを考えるとそうした見方にもなります。少なくとも清は滅んでいます。
西太后が清国を滅ぼしたのは確かだけど、ヘシェンの専横を許した乾隆帝の治世後半から清国は衰退を始めていたと思う
済みませんが、西太后が清国を滅ぼしたのは確かという事実があれば、教えていただけますでしょうか。戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。西太后の政権簒奪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。以上の理由から、西太后が清国を滅ぼしたのは確かという貴方の意見には違和感を感じます。
昔の人は色々と闇が深いな
あの時代の中國って、どうにもならん気がする・・・
俺も長生きしたいから西太后のエゴイズムは参考にする
今でいう竹中平蔵みたいなもんだよな。あいつのせいで30年間デフレで経済成長できないんだから。
15:04 ミスチルの歌詞で笑った
西太后はどっかで再評価の動きもあるって聞いたような気がするんだけど個人的には1万歩ゆずっても自らが亡きあと清王朝の崩壊を早めたぐらいしか評価の目がないような…
光緒帝追い出してる時点で十分害悪でしょう
@@ラスコー-b6i 戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。西太后の害悪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。
浅田次郎の蒼穹の昴では、西太后良い人説で描かれているんだけど、何か事実があったりしたのだろうか
いい人じゃ困るんだよな・・・国際情勢は非情なんだから非情に徹してくれないと
主役が宦官の春児ということで視点が違っているのかも。
国家予算をかけてもこの程度、、、美容技術がない時代、叶姉妹はどれくらいの予算かしわ、、
呂雉の時代も則天武后の時代も、宮中は大変だったけど民衆の生活は比較的安定してたのよね。それに比べて……
呂雉も則天武后も政治的な能力はありましたね。また、彼女たちはブラックプロパガンダの被害を受けていた可能性があります。漢はもちろん漢民族の国ですし、唐も漢化政策をしていました。そのため、漢民族的価値観が強かったと考えられるでしょう。それに比べて、清は漢民族の国ではないです。そう考えると、、、
いやいや、そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。残念ながら、貴方の言っていることが理解できませんでした。
この西大后をあんなに魅力的な人物(政治的な面はおいといて)として小説にした、浅田次郎さんって、やっぱりすごい人なんですね( ・∇・)
現実とオハナシを一緒にしてはいけません
則天武后は統治に関しては有能なんだよなあ。何故他の二人と比べられるのか意味わからんレベル。
実は、光緒帝の改革は英国と繋がっていて、西太后は、英国によって清が植民地化されるのを防いだ賢帝だったという説もありますよね?それに、造園などは、人民に職を与えるための公共事業だったとも。そのため、人民からはかなり人気があったともいわれますよね。そして、西太后が外見に気を使ったのは、その人気と権威を保つための手段だったのだと。少なくとも、「眠れる獅子」と言われた中国は、ついに本格的に植民地化されることはなかったのは歴史的事実。異説がある以上、西太后を「どうやっても評価できない」というのは言い過ぎでしょう。
そもそも中国の非常に広大な領土を全て植民地化できる国は当時存在しません。あとは、不毛な地も多いため全土を植民地化するメリットがありません。なので、他の国からしたら港湾確保や食料、鉱物資源の確保のため上海や満洲、香港など一部の重要な地域を占領できればいいのです。結局、清は重要な地域を列強にとられ、滅びているんで「西太后はどうやっても評価はできない」は言い過ぎじゃないと思いますよ。
@@太郎冠者-p9d 隣のインドを見て、本当にそう思える?インドも中国と同じぐらいの広さ(満州と中国沿岸部だけで) とかなりの人口がいるんだけど
@@茅野カエデ-l4g いや中国はインドの3倍の面積なんですが…しかもこれ現在の比較なんで清はこれより面積が広かったんで、3倍以上になります。
@@太郎冠者-p9d 分かっていますが、満州人と漢人の版図だけで考えたら、2倍ぐらいですし、イギリス一国でインドを植民地にできてるんだから、列強が分割統治するのは可能だと思いますが
西太后の最大外道エピソード義和団事件の時西太后は国内にいる外国人を皆○しにせよとというとんでもない命令を出そうとしました。側近が命令書を処分したため未然に防げましたがその側近たちは処刑されたそうです。もしこの暴挙が行われていたら間違いなく列強の報復があったでしょう。
悪女ってことは知ってたけど予想以上にやばかった
最近やんか、怖いなぁ戸締まりしとこ
ピンチをチャンスに変える で流石にワロタ
評価されていない人を再評価したいのはわかるけれど、公共工事なら庭などではなく道、病院、学校などいくらでもやることがあるはず。凝った庭は結局、材料代が多くを占め、働いた民に還元される分が少ない(現代でも同じ)。軍との綱引きがあるにせよ、軍備と個人の誕生日を天秤にかける感覚は国のためになるとは思えない。 清を延命したというが、さっさと居なくなっていれば、近代化が進んだかも知れないわけだし。
材料費って言ってもただの石だから、材料調達費は国内の人間に支払われるよ。国内経済はよくなるんじゃない?ただ、近代軍をもっと(特に海軍)拡張したほうがよかったけど(最低でも日本には勝てたでしょうし、頑張ればフランス海軍には勝てるでしょう)
@@茅野カエデ-l4g 石のようにプライスレスのものは希少になれば大変高価(言った者勝ち)で1億の工事で材料8千万、人件費2千万なんてことはざらです。そうすると材料を供給する側にお金が片寄り、中間で抜くものも出てくるので、かけた金額の割に作業に従事する平民層には行き渡らないことになります。 一部が潤うだけましかもしれませんが、道路など人の役に立ち、人件費の比率が高いものの方が幅広くお金が行き渡る感じです。
@@001lonestar7 平民にはいきわたらなくとも富裕層が消費すれば結局いきわたるのでは?(トリクルダウン)
@@茅野カエデ-l4g さん 確かに、巡りめぐって行き渡るけど、同じ金を使うなら民の役に立つものを作って欲しいと思うのです。
@@001lonestar7 まあ、海軍や、病院、貧民救済、道路、新式陸軍とかやるべきことは沢山あったけどね
15:06 オーストリア=ハンガリーの皇后エリーザベトと同じですが、エリーザベトは政治にほとんど興味を示さなかった(ハンガリー人については相当同情的でしたが)のに対し西太后はいかにも権力者というべき。
年老いた写真見てもめちゃくちゃキリッとしてるし若い時はめちゃくちゃ綺麗だったんだろな
AIによる若い頃の再現写真があったけど現代でも通用するクール系美人さんだったよ
この辺の歴史は高校世界史で学んだが、通り一辺倒の事件暗記でしか無かった気がします。この動画解説くらいに面白かったら、近代東洋史を研究する友人も出たかも知れない。受験勉強は教養や事物の分析力を養う物では無かった。
高校時代の世界史の授業中に、私語をしたりボケっとして授業を受けていた級友もいましたが、彼らももう少しまじめに高校世界史を学んでいたら良かったのではと思います。今後の当人の教養の基礎になりますからね。受験勉強を単に受けていたって教養や事物の分析力を養えないのは当たり前のことで、学んだことを教養や事物の分析力に変えるのは当人の傾聴力や真面目さです。私は高校の世界史の授業で西太后について先生から習ったのですが、西太后は善政を布いた方であるにも関わらず、当時の欧米列強による植民地化の思惑で事実無根、名誉棄損を受けた女帝です。北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。でもそれはフィクションだそうで、他国に問題が多ければ、介入できる格好の口実になりますから。ご存じのように、戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断です。当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。また、西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。こうゆうことも私は高校の世界史の授業で学びましたが、貴方の言うように、受験優先で勉強をしてしまうと、出来事や起きた年代に目が行き、歴史上の人物の思想哲学などの本質的なものや出来事の背景や流れがおろそかになりがちですよね。因みに、NHKの番組で、吉川晃司がナビゲーターを務める「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」という番組があります。過去の科学上の偉人のブラックな面(論争、妬み、足の引っ張り合い、保身等)にスポットを当てる番組であり、私もちょくちょく見ます。まあ、善人を善人として公開しても当たり前すぎて興ざめですから、このような手法もスパイスが利いていいかもしれません。まあ、西太后含めて善良と認識されている歴史上の人物のネガティブな面をクローズアップするコンテンツには、高校の授業をおろそかしていた方々が飛びつきやすいのかもしれません。
『ライバルの手脚を切断して甕で飼う』
→嘘。西太后は決して証拠を残さない。
この理論大好き。
西太后の弟のひ孫が、中国でご健在ですが、西太后のやって来た事が原因で、進学も就職も結婚も自分の希望が叶わず、現在はアパート暮らしで、国営となった西太后の庭園で、働いているそうですよ。
可哀想だ
可哀想やとは思うけど、私なんかが声をあげても何も変わらんのやろなって思ったら結局何も行動できへんわ。笑
滅びた王朝の子孫は直系どころか傍系ですら辛い思いするのね。
オリジナル庭園が、共産主義下で破棄ではなく国家管理かw
そして子孫は冷や飯食らい
中国人と共産主義は相変わらず一貫せず金のことだけ
そう言えばクレムリンも同じだな
生まれてきた子供にはなにも罪はないのに…(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)
こう言うの見ると、明治天皇が独り立ちできる程度に大人で、変化を受け入れられる程度に若かったのも明治維新成功のキーポイントだよなあ
後、日本人の気質も多分にあるよね
武士政権時やGHQでさえ
天皇陛下を廃位させたりしなかった
日本人にとって天皇陛下は
侵さざる精神的支柱だった事の
現れでもあるしね
だからこそ、日本人は天皇陛下を
侮辱されることを極端に嫌う
明治天皇は父である孝明天皇の影響もあってか西洋文明が好きではなかったが、日本のために公ではそれを受け入れて西洋的な君主を演じた。しかし、本音は西洋文明が好きではないので宮中では夜でも電気を使わずにろうそくで生活していたほど。私利私欲で動かないのが同じ時代を生きた西太后との違いだね。
自ら率先して断髪されたり
日清戦争の大本営のために広島駐留されたり
至極質素な食生活をされたり
暖房すら節約されたり
私費で軍費をまかなったり
自殺しようとする乃木を諌めたり
ほんま現人神やで
明治天皇ってそんなに尽くしてくださっどったんか…
明治天皇一人で国家がどうにかなるほど日本は前近代では無いですぜ。
それに明治天皇は日清戦争の開戦に激しく嫌悪感を抱いており、「これは朕の戦争にあらず」と怒ったのは有名な話。明治天皇でどうにかなるなら、日清戦争は開戦されなかったな
シャネルさんは『化粧するよりお風呂に入って清潔にして身だしなみを良くしなさい』と極度の風呂嫌いのフランス人権力者達に提言したある種の偉人だから(化粧業界はまた別のプロフェッショナルな女王達が)
西太后が軍事費を庭園作りに流用したりして清を内部からボロボロにしてくれたおかげで日清戦争楽勝だったから日本にとっては有り難い人だな。
軍事をおろそかにするとだめっていう例でもあるね・・・。
@@香鹿-u4g まぁ逆に軍事を優先し過ぎると約半世紀後の大日本帝国みたいになるからバランスが大事。
歴史の本にも「日本が知らないうちに所有していた最終兵器」と書かれてた…。
@@keyyou1274 とはいえ・・・バランスよくできるのってせいぜいアメリカくらいだからな・・・。
@@オーウェルジョージ-b3f 第二次世界大戦の時の牟田口と同じ扱いで草
中国全土から巨根男性をかき集めたエピソードはやはり英雄だなと思う
英穴だ
後宮では西太后の為の調理場が九つあって、それもご飯を炊くだけの調理場、麺類を作るだけの調理場、肉料理だけの調理場、野菜料理を作る調理場、お菓子を作る調理場、特に好きなアヒル料理一品を作る為の調理場なんかがあって。24時間いつでも出せるように用意されていた。
それでも本人はあまり食べなかったので、ほとんど無駄になったそうだ。
好物は北京ダックの皮だったと昔、何かの番組でやっていました。
まあ、美味しそうなんですけど…。
ちなみに常日頃「汽車は孔子さまの乗りたまわぬものなり」とうそぶいていたが、義和団の乱終結後避難先の西安から初めて鉄道で北京へ帰還して鉄道にハマった。奉天の皇帝陵参拝でお召し列車仕立てたが何両もの食堂車連ねて山海の珍味を味わいペットの犬にも食べさせたらしい。
他2人と違って西太后はけっこう最近の人なので記録が生々しくてリアリティがありますね
独裁者はなぜ「誕生祝」がこうも好きなのか…
国を近代化させる為には国民の「識字率」はかなり重要・・・
国全体の底上げが必要だし、そのためには「エリート」だけでは限界があるからね
日本の場合は、平仮名カタカナがあったから良かった。
漢字の弊害は魯迅など近代知識人が嘆いている
かと言って文字を表音記号だけにしてしまうとどこかの国みたいになる
@@金澤華
死ぬときに
「漢字が滅びなければ中国が滅ぶ」って言ったそうで
日本にとって幸いだったのは、幕府側も討幕側もそれなりに危機感と改革の意志は持ってたことだな。無論欲や因縁も無かったわけではないけど、それでもある程度抑えて互いに形にした。
保守的な佐幕派の政治家や藩ですら近代化に努めていたしな。江戸幕府って鎖国はしてたけど、海外の情報収集自体は熱心にやってたからそれもあったのかも。
清朝は中華世界を武力で制し周辺のモンゴルチベットトルキスタンを下し中華王朝としては屈指の版図にした満洲族が建国した王朝ゆえの慢心はあった。
世界情勢が見えていないと言う意味では幕府に攘夷せよと迫った朝廷だな
似たような外国勢力排斥は清朝朝鮮越南ビルマでも起きているが悉く失敗して排斥どころか口実を与えて外国勢力に蹂躙される事に
それなりどころでは無くどちら側が勝っても日本の近代化は既定でして争っていたのは飽くまでも主導権争いでした
徳川慶喜はまんまと出し抜かれた訳ですが、負けを認めて抵抗せず無血開城したから余力を残して西洋列強に対峙する事が出来た
…梯子を外された幕臣は溜まった物では無いでしょうけど西太后の真逆で何処までも広く俯瞰して情を排した冷徹な判断を下すのが徳川慶喜と言う
「世間的には敗北者扱いされた傑物」なんですわ
そもそも近代化を始めたのが西太后なんだけどね。
曽国藩や李鴻章ら漢人官僚を重用して洋務運動を進めたが、有力漢人官僚によって軍閥の形成が進んだため
ブレーキをかけざるを得なくなる。それでも結局、清は袁世凱らの軍閥によって滅ぼされてしまったけどね。
このあたりって高校生の教科書レベルだと思うが・・
障害は西欧列強だけじゃないんだよ。絶妙のバランスを保たなければ、瞬時に崩壊してしまうのが当時の清。
その時代に生きていた人には悪いけどこういう人が居ると歴史を勉強する上で凄く興味深くなる
西太后が若い頃は貧しかったらしい。
お金に困っていた頃、大金を届けた男がいて、そのおかげで助かった。
権力を手に入れた西太后が大金を届けた男と再会、その男は大金を盗んだ罪で投獄されていたのだ。
実は男は間違って大金を届けたのである。
西太后はお前のおかげで助かったと、男を牢から助け出し恩を返したとの話もあります。
郵便屋さんが配達先間違えたそうで。
何かの再現ドラマで見ました。
本人ではなく母親だったけど、そのおかげで今の自分がいるといって、お詫びに自分が履いていた沓を片方渡した。
オークションか何かでめちゃめちゃ高値で売れたらしい。
光緒帝は2007年の研究に於いて、その頭髪から致死量の砒素が検出され毒殺だと結論付けられたそうですね。
ただ、誰の仕業かは依然として不明なようですが……
特番で浅田次郎さんが向こうの研究者から光緒帝の毛髪からヒ素データを検査し、その結果に驚いた場面があったね。
光緖帝の頭髪が残ってたりするのかー
清の皇帝でも意外に現代に近くてロマンある
若くして亡くなっているからポニーテールくらいの毛髪量はあるよ
帝のご遺体(の頭髪)を調べたところ、致死量を「遥かに」上回る砒素が検出されたね。それにより毒殺はすでに結論となっている。誰の仕業かについては、直接毒を盛ったのは西太后じゃなかったとしても、彼女の関与は間違いないと思われる。何せ毒殺による光緒帝の崩御は西太后の死の1日前なので、偶然として片付けるのには無理がある。しかも光緒帝はまだ相当若かった。西太后が自分の死を悟り、自分の死後の光緒帝の復権を阻止するために、自分が死ぬ直前に光緒帝を殺害し、赤ん坊だった溥儀(宣統帝)を光緒帝の後継に指定したというのは定説となっている。どこまでもどす黒く強欲な稀代の悪女ですよ。。。
火葬にされた溥儀以外は大体DNAが残ってるのではないかと。
ラストエンペラーの冒頭にも西太后は出てましたね
中島みゆきの「悪女」がただの善良な女性にしか見えない。
「蒼穹の昴」の田中裕子の演技がすごかったなあ。大好きなキャラクターだけれど、それでも擁護しきれないという。
同意です!数ある西太后ものでは田中裕子が断トツ。
西太后取り上げて欲しかったです。ありがとうございます。
西太后って近代の人なんだよなぁ、怖いわ
もっと最近だと江青もヤバい
西太后さんは、中国悪女オリンピック100m走で2位に80m差で圧勝するかのような凄まじさですね。
満洲族は纏足しない
漢族出身妃はしていたはず
・安得海事件(西太后お気に入りの宦官が廷臣たちと組んだ東太后に殺害された事件)では手も足も出なかったこと。
・庭園事業はむしろ歴代の皇帝の威信を利用したい光緒帝の意向が強かったこと。
・この人による人物評価は容姿ばかりで内容が全く伴っていないこと。
・百日維新までは「とっとと楽隠居したい」と言う意思が強かったこと(明らかに守旧派に担がれた)。
・中国史の皇帝に顕著な「臣下による簒奪」への警戒が全くなかったこと。
権力掌握(辛酉政変)から日清戦争、義和団事件と擁護のしようは全くないが、武則天のように男性的な独裁者になりたいと言うより愛新覚羅家内での地位だけしか考えてなかった後宮女性だったのが実像かな。いいように責任を押し付けられた感じはする。
10:17 残念ながら光緒帝は恭親王奕訢の子ではなく醇親王奕譞の子なのよ
うちの親戚に母親が強権すぎる家があったんだけど
そこの長男が早死にしてしまったから
呂雉も則天武后も西太后も
たぶん暗殺じゃなくて精神がもたなかったんじゃなかなと思う
実際、人豚を見せられた恵帝はショックで酒に溺れてしまい、若くして病死してるしね。
うちは先祖が百済の王族という言い伝えあるんで、武則天は先祖の仇
映画「ラストエンペラー」にも登場していたね
17:30 俺の世界史全シリーズでこの瞬間より面白い場面は、いまだ存在しない笑
語り手の勝ち誇りっぷりと口の動き方のシンクロ感が秀逸すぎる
「んなわけねぇ~じゃ~ん」頂きました。
蒼穹の昴という作品がなかなか面白いのでおすすめです。フィクションなので事実と異なる部分も多々あると思いますが、当時の中国の雰囲気や今の拡張主義の根幹に関わる部分が感じられるのがいいですね。
1835年は坂本龍馬・士方歳三.・篤姫が生まれた年でもある
宮廷内では化け物みたいなのに世界情勢がまるで読めないって、宦官の趙高を思い出したわ
あいつも始皇帝が死んだ後やりたい放題してたけど、反乱軍の動向とかほとんど無視してた気がする
趙高のエピソードがホントに趙高のものなのかは少し疑わしい部分もありますけどね。
他の人の悪事もすべて趙高に押し付ける事で、秦の滅亡を正当化する材料にされちゃっているような可能性も無きにしも非ず(´・ω・`)
西太后の頭からあめ玉出てきそうだなぁって思った。
スターリン頭悪そうで草
真珠飲んでたんだっけ。
トゥールルットゥルルトゥールルットゥルルルールールールールールルー「皆さまこんにちは、孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇熙配天興聖顕皇后の部屋のお時間です」
近代史はやっぱ面白いなあ! 中華がさっさと近代化していれば世界史も日本を含むアジア史も大きく変わっていただろうし現代に至る欧米の覇権はここまで強くなかっただろうな。
楽しみにしてた!
軍艦を購入されるために宮廷費を切り詰められたり兵士と同じ食事を摂られた明治大帝のような立派な君主を戴けた事は日本人として誇りに思います‼️
軍艦を購入するために切腹覚悟で資金の流用を行った大臣もいますしね。
明治天皇が宮廷費を削ってでも購入するよう指示した軍艦は2隻の富士型戦艦です。
当時の清国北洋艦隊が保有する定遠級装甲艦と比較しても破格の戦闘力を持つ艦でありました。
しかし、日清戦争に納品が間に合わず、連合艦隊は装甲巡洋艦ですらない松島型防護巡洋艦を連合艦隊旗艦にして戦うことになります。
とりあえず皆殺しで邪魔者を廃することによって恐怖で他を抑えつつ相対的にも絶対的にも地位を上げるやり方!
歴史的にも稀なほどの「小物界の大物」なのである!
ハリー・パークスやアーネスト・サトウといった、英国の外交官は、西太后(慈禧太后)を、どのように見ていたのだろうか。
饅頭の上下運動が早すぎて酔います。
もうちょっと遅くしてもらえると嬉しいです。
昔テレビでやってた西太后と続西太后がトラウマレベルに怖かったように記憶してる。
でも、時々見たくなるんだよなぁ。
ニフオルじゃなくてニオフル氏じゃなかったっけ、、?紐祜禄氏
「女性としては化粧をしなければ生きている甲斐がない」
「私は女だし、女であることを楽しんでるわ」と言ったマリリン・モンローの名言でもおかしくないんだけどなぁ…
言ってることは素敵なんだけどなぁ…
言葉自体はカッコいいんだけど…
【事実訂正】日本で「西太后」と呼ばれる晩清の権力者の本名は「慈禧」ではありません。慈禧は徽号(皇太后の尊号)であり、彼女のことは中国語では「慈禧太后」、英語では「慈禧太后」と同じ意味の「Empress Dowager Cixi」と呼ばれます。慈禧太后の本名は明らかではなく、「杏貞」という説もあるが信憑性が薄く、確かな事実は「葉赫那拉」という氏と「蘭児」という幼名だけです。そのため(本名ではありませんが)彼女を葉赫那拉蘭児と呼ぶ人もいます。
「せいたいこう」だったんですね。
ずっと「せいたいごう」って読んでました(///∇///)ゞ
主さんは発音にもこだわって動画作成されているので本当に勉強になるし、とても面白い。
私もずっと「せいたいごう」と呼んでいました。何しろ日本では「こうごう」及び「こうたいごう」様ですからね。でも「女官」は「にょかん」では無いのですか?昔の人間なので、RUclipsの若い人達とは違うのか?と思う程です。何しろ私が習った漢字の送り仮名が、二通り有って何方でも良くなって居ます。手元に(ど忘れ)漢字字典を置いてあり、読み方と送り仮名を確認して居ます。
両方の読み方があったはず・・・どちらでも良いと思う
皇后(こうごう)は濁るけど、太后(たいこう)は濁らない。
でも皇太后(こうたいごう)や太皇太后(たいこうたいごう)は濁る。
三后(さんこう)准后(じゅごう)のように濁ったり濁らなかったり・・
連濁には一応の決まりはあるけど例外だらけで、絶対的な法則はないし、誰かが決めるわけでもない。
こんなものは、どっちでもいいんだよ。
そもそも中国語の発音ではxi tai hou(シータイホウ)なので読み方に正解も不正解もないと思います。
清がこういう有様では、福沢諭吉が脱亜入欧を説いたのも気持ちは理解できる。
二十世紀の朝鮮も清もオスマンも保守的な人たちの影響力が強かったので、近代化を目指した福澤諭吉からするともどかしい思いがあったのでしょうね。
ちなみに福澤はかつて清の康有為や朝鮮の金玉均を応援していました。しかし、彼らは同族に処刑されました。福澤はこれを見て、絶望したと言われていますね。
他の動画で見た記憶があります。特に金玉均は遺体を辱められたとか。
近代化を全否定した上、有為の人材を惨たらしく殺す残忍さに失望した事も「脱亜論」に繋がったのでしょうね。
李氏朝鮮の金玉均は本当に有能な人だったけど閔妃と袁世凱の妨害で日本に亡命した
福沢諭吉と親交があった金玉均は上海で暗殺され、凌遅刑にされた後に遺体は犬に食わされた
それで中国朝鮮に絶望した福沢諭吉は脱亜論を書いたと言われる
@@noha8350 朝鮮の清からの独立を説いた金玉均は幕末の志士と似たようなものを感じるが、彼の言う日本・朝鮮・清が同盟して欧米列強に対抗するというアジア主義は非現実的なんですよね。だから当時の日本政府は金玉均を担ぎ上げなかったし、むしろ邪魔な存在と感じていた。彼がもっと遅く生まれていたら大東亜戦争期にアジア主義が反主流から主流派になったので活躍の場が広がったのではないかと思う。
本人はこれだけ好き勝手やって天寿を全うして、何の責任も取らない。
さぞ楽しい人生だったでしょうね(苦笑)
ただ本人的にはこれでもまだ理想(清朝史上最高に幸せな母親と言われた乾隆帝の母崇慶皇太后の享受した贅沢)には程遠いと憤っていたんだそうなww
@@yupoz8224
初めまして。返信ありがとうございます。
そうなんですか!
人の欲には限りがありませんね!笑
コメ主の知る限りでは、唯一、浅田次郎さんの小説、蒼穹の昴が、架空の側近宦官春児の視点から、西太后を良い人物として描くというスタイルをとっていますね。
蒼穹の昴という日中合作ドラマで日本人である田中裕子さんが西太后を演じた時点で現代中国でもどんな存在かわかるな
そのころから中国は権力者が己の利益ばかりで都合の悪いものは排除する姿勢は微塵も変わってないと思う。
ぜひこのチャンネルで、香港近現代史を取り上げて下さいますでしょうか。最近また周庭さんのことが、ニュースになっているので。
確かに見たい
0:23 おかあさんといっしょのうーたんを彷彿とさせる髪型
😂😂😂
西太后がいなくなったあと蒋介石、毛沢東がでてくるのか
この後1912年の辛亥革命で清がつぶれた後、C国は内戦状態になり、日中戦争を経て内戦に勝利したのが毛沢東率いる中国共産党。
自身の美容が第一と言うがそれでコレなのかよ……
自分の容姿に劣等感が強いと美容に固執しますね
そういう人物に迫害された美人は自虐的になりがち
整形依存とかは美人が多いのはブスに嫉妬されたから、なんですよね
@@km2359 美人なのに自分の容姿に劣等感があるとかこれ分からねぇな…。
文章崩壊してますよ。
@@まぬけ-g8f 綺麗な人が容姿のことでコンプレックスを持つのはよくあることなので文章崩壊してないと思います
蒼穹の昴によれば、51歳当時の西太后に拝謁した新人官吏3人の目には10は若く見えたとあるんですね。あくまでも浅田次郎さんの創作ではありますが、城外の庶民女性に比べたらやはりエイジレス効果はあったと感じます。
日清戦争の裏話がきけて勉強になりました。
詳しく教えていただきありがとう!!
蒼穹の昴を読んで西太后を知ったので、悪女と謗られながらも清を支えた中華のお母さんってイメージを持っていました。蒼穹の昴シリーズで西太后評価していた浅田次郎スゲェー(笑)
頤和園行ったな……綺麗だった
映画観ました。
あれでもフィルターをかけていたんですね。
西太后は最後に「二度と女に政治をさせてはならぬ」と言ったとか言われているが。
まあこれは作り話だろう。(笑)
中国の殷周革命での妲己やヘーシオドスなど、東西を問わす色仕掛けで「男を惑わす女」と関わると身を滅ぼすのだ。
権力者の嫁が更なる権力を求めて権力闘争をするという伝統が毛沢東の嫁にも引き継がれます
西太后が仮に最善の選択を常に取っても清は無理ゲーな気がするが。
流石にもう少しマシになってただろうね
ありがとう。面白かった。
09:34~「西太后は激怒した」この暴虐邪知な…あれ?
「西太后」の読みは基本的には「せいたいこう」だが、映画「西太后」の題名の読みは「せいたいごう」になる。
ホントは映画のタイトルの読みも「せいたいこう」だったのだが、日本で封切前(多分、日本語の吹き替えを入れる時)に誰かが「せいたいごう」と間違って読み、「せいたいごう」の方が音感が強くて迫力あるんじゃね?ってことで映画のタイトルの読みや映画内での日本語吹き替えでは「せいたいごう」になってしまった
だから映画の印象の強い人は「西太后」を今でも「せいたいごう」と読むことがある(´・ω・`)
本来「太后」は中国読みだと「タイホウ」なので日本語で「たいこう」だろうと「たいごう」だろうとどちらでもいいのでは?
「相互主義」と言って漢字文化圏の有る意味特殊な暗黙の了解です。
中国人が日本人の名前を中国語の音で発音する事に異議を言わないのと
逆に中国人名を日本語読みで言う事にもお互いの国で批判はしていません。
毛沢東(もうたくとう・マオツートン)習近平(しゅうきんぺい・シーチーピン)と言った感じ。
@@comugichan2189 いや、だから正式な日本語読みが「せいたいこう」だったのよ。
>正式な日本語読みが・・・
無知丸出しの知ったかで草
可愛そうにひ孫に罪はないのに気苦労して生きているなんて
17:30で大笑いさせていただきました。
「中国三大悪女筆頭」ってもはやノリが男塾ですねw
「女とは何ぞや!人生とは何ぞや!返答せい!」
さしずめ、この動画見てると、女とは化粧、人生とは我が娯楽、他者はティッシュですかね。
霊夢の顔w
日本の場合は、明治維新以前から朝議など疑似的な議会があったため議院内閣制も意外にフィットした。
そもそも、日本の天皇陛下は国家統合の象徴であって絶対権力者ではない。
歴史的に見ても、君主と諸侯の権力バランスが安定的だったから政治体制の改編も用意だった。
一方の中国歴代王朝は、いい意味でも悪い意味でも絶対権力だけにいざ改革するともう前王朝を滅亡させないとできないケースが多い。
結果、清王朝は滅ぶべくして滅んだ。
清でやったら国が崩壊するか植民地になるような大改革ですよ。
日本の明治維新は奇跡ですよ。 日本の近代化は日本が「神州」だと思えるぐらいの天からの幸運と日本人の努力の結果です。
ヘシェンを代表とする、国の隅々まで汚職者にまみれた清にできるとは思えない
西太后もそれをわかってたからか、国内制度の改革はあまりしなかった。(洋務運動)
ただ、日清戦争に敗北したから康有為がしゃしゃり出た。
戊戌の政変を起こしてこの無能売国奴を追放できた。(ついでに騙された帝も幽閉した。)
義和団事件の西太后の対応はさすがに擁護できんが(民衆にはあがめられたとはいえ)
日露戦争での結果を受けて、「日本語とときが露助に勝った」ため、国内制度の大改革を決定。(国内反対派もさすがに黙らせられたのでしょう)しかし、これはもはや焼け石に水で、清は救えずに彼女の死後につぶれた。
ココ・シャネル「流石の私でもここまで酷くねーよ!!!!!」
浅田次郎さんの『蒼穹の昴』シリーズを読むと、西太后が悪女だと思えなくなるんですよね笑
どちらかというと悲劇の女性に見えてくる···
悪女かどうかはともかく、有能な政治家ですよ。
戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断です。
当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。
それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。
その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。
それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。
売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。
そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。
北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。
西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。
頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。
これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。
米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。
そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。
西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。
それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。
これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。
ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。
私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。
でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。
呂后や則天武后と違って何一つ評価出来る点がない…
浅田次郎の影響で一概に悪だと思えなくなってしまった、、、
呂雉や則天武后はまだ理解できる部分や役に立った部分もあるけどこの人は徹頭徹尾国の邪魔にしかなってねえ...
ある意味日清戦争における
日本勝利の立役者
この勝利のお陰で
日本は欧米列強の
仲間入りができた
失礼ですが、西太后に関して国の邪魔という事実を教えていただけますでしょうか。
戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。
当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。
それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。
その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。
それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。
売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。
西太后の政権簒奪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。
そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。
北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。
西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。
頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。
これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。
米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。
そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。
西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。
それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。
これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。
ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。
私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。
でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。
貴方の言う国の邪魔という具体的事実が知りたいです。
@@akikawa2540
え、日清戦争時に
自国の国防費を横領して
誕生会を開くとか・・・
清の立場からすれば
たまったもんじゃないだろう
別に自分の財布から出したのなら
誰も文句は言わなかった
貴方が仰ってる事は全部
後付けの綺麗事でしかないよ
実際、欧米化を上手いこと
取り込んだ明治維新は成功し
日本は、列強国の仲間入りをしてる
清もポテンシャル的には
十分可能だった
そんな観点から見ても
西太后の方が余程売国奴だよ
いや、比較したら売国奴に失礼か
@@陰キャな剣聖 いやいや、この時期に清国は国防予算を設備投資して海軍力の強化を図っています。定遠や鎮遠などの、日本とは比較できないほどの大型の主力戦艦2隻を購入してそろえています。一方、国民生活だって、ある一定上のレベルが無いと継戦能力は持てませんから、国民経済の活性化を図るのはバランスを取る上で重要ですよ。
惜しむらくは人的投資の投資がおろそかになっていた点です。豊島沖の海戦で、高陞号を雷撃された経緯からして、国際法に精通した将校すらいなかった状況ですから、この点は反省すべきです。
あと、国民経済を潤すのに、自分の懐とか国家予算とかは無関係ですよ。故松下幸之助氏(松下電器創業者)が、昭和恐慌の際に経済を回すのに寄与するため、自前で自動車を購入した話がありますが、頤和園の工事は国家予算的な公共投資であり、恩恵を受ける範囲も広いです。所得をもらう人民にとって、誰の金であろうとどうでもいいですから。
@@akikawa2540
そう考えると
日本と清の差って
何だったんだろうな
同時期に欧米からの
コンタクトがあり
一方は明治維新を成功させて
列強国の仲間入りをし
一方は皇帝制が廃止されて
国家体制がガラッと
変わってしまっている
浅田次郎はなぜ、蒼穹の昴シリーズでこの西太后を天才、神のような慈母として描いたのだろうか?
読んでいて、気持ち悪いほど持ち上げてて、浪花節だったなぁ。
愛深き故、光緒帝を幽閉し、自分がすべての世間の悪意を受けとめて、光緒帝を守り、自分の死と共に殺害した・・・みたいな描き方をしていた。
ある種天才なんだろうな
映画で予告に恐ろしいの出て
映画は見る勇気なかった
ニホウルではなくニオフルでは?
清仏戦争は清とベトナムは善戦したよ(特に陸軍) その証拠にフランスは政権が倒れてる
フランスは外交で勝っただけ
海軍は李鴻章が援軍に行かなかったのとドイツから買ってきた戦艦が到着しなかったのが原因で負けた。
今映画でしている天外者で日本がどのように変わっていったかはよく描かれている
近年、西太后の再評価の動きもあります。
今の悪女のイメージは列強諸国の印象操作が大きいです。アメリカに移住した侍女の回顧録には、人間らしい面の方が大きいです。
また、死に際に「女を為政者にしてはならない」と遺言も残してます。
個人的には、国内の権力闘争などはありましたが、
列強の植民地にならないで済んだのは、西太后の政治手腕も大きかったと思います。西太后がいなければ袁世凱などが藩王などになって列強の食い物にされていたでしょう。
しかし、そうした側面も中国大陸でさえ、印象操作されたイメージだけで感情的に評価され続けてます。
感謝
16:37
もう日本のスパイだったんじゃないかってくらい滅茶苦茶な事して日本側を有利にしてるな…
日清戦争の時の西太后の行動見て思わず、明治天皇と維新志士たちに勝てるわけねぇ!
と絶叫しそうになってしまった。
維新志士あがりの陸奥宗光大使(元坂本龍馬側近)にはこれがわかっていました。だから無理にでも戦争をけしかけたのです
この人清で何かあると皆全て私のせいにする、とかも言っていたそうですね。ひょっとしてこの人なりに政治やってたのかとも思えますが頭が古過て我が強過ぎるんですよね、だからどのみち悪女の評価は逃れられないというのが今の僕のこの人についての見方です。
失礼ですが、頭が古過て我が強過ぎるという事実があれば教えて欲しいのですが。
戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。
当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。
それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。
その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。
それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。
売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。
西太后の政権簒奪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。
そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。
北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。
西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。
頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。
これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。
米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。
そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。
西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。
それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。
これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。
ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。
私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。
でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。
貴方によると、頭が古過て我が強過ぎるとありますが、その意見には違和感を感じます。
@@akikawa2540西太后が彼女なりに清即ち中華を憂いていたこと民衆から支持を得ていたことはまぎれもない事実です、そしてその為に動いていたことも。その贅沢も列強に中華つまり中国の豊かさを見せてとても飲み込めない国であることを見せて国を民を護ろうとしていたこちう説も聞いています。そして満人と漢人の融和をこれまでの清以上に進めていたことも。僕個人がこの人について調べると意外に肯定的好意的な文献が多かったことにも驚きました。そのうえで僕も自分がすぐに批判されるという彼女自身の言葉を書かせてもらいました。
ですがこの頃時代はかなり動いていた訳で。やはり清は立憲君主制になるべきだったかも知れない、それを考えるにこの人はやはり古くまた我が強かったのかもと考えるのです。残念なのは十九世紀以降政治システムが著しくその形を変えていることでしょうか、西欧基準に。当時はどうしても西欧が中心なので清のことを考えるとそうした見方にもなります。少なくとも清は滅んでいます。
西太后が清国を滅ぼしたのは確かだけど、ヘシェンの専横を許した乾隆帝の治世後半から清国は衰退を始めていたと思う
済みませんが、西太后が清国を滅ぼしたのは確かという事実があれば、教えていただけますでしょうか。
戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。
当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。
それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。
その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。
それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。
売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。
西太后の政権簒奪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。
そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。
北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。
西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。
頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。
これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。
米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。
そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。
西太后によるこの善意の行為も、この動画の主の偏見によれば、きっと税金の私用、無駄遣いということになるのでしょうかね。
それに、当時女性の悪習だった「纏足」を禁止し女性の労働生産性を向上したり、満州人と漢人との婚姻を勧めたり民族に依らず有能な政治官僚を登用する政治改革を行っています。
これが近代の軍隊創設、鉄道敷設、学校設置につながり、中国の近代化に寄与していくのですよ。
ただ西太后没後に、残念なことに満州人と漢人との融和が否定され、満州人政権に反発した漢民族の反乱で清がまもなく滅亡します。
私は高校の世界史の授業で習ったのですが、北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。
でもそれはフィクションだそうですが、中国内外でベストセラーになったそうですよ。
以上の理由から、西太后が清国を滅ぼしたのは確かという貴方の意見には違和感を感じます。
昔の人は色々と闇が深いな
あの時代の中國って、どうにもならん気がする・・・
俺も長生きしたいから西太后のエゴイズムは参考にする
今でいう竹中平蔵みたいなもんだよな。
あいつのせいで30年間デフレで経済成長できないんだから。
15:04 ミスチルの歌詞で笑った
西太后はどっかで再評価の動きもあるって聞いたような気がするんだけど
個人的には1万歩ゆずっても自らが亡きあと清王朝の崩壊を早めたぐらいしか評価の目がないような…
光緒帝追い出してる時点で十分害悪でしょう
@@ラスコー-b6i 戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断なのですが。
当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。
それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。
その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。
それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。
売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。
西太后の害悪という根拠がどこにあるのか、ちゃんと知りたいですね。
浅田次郎の蒼穹の昴では、西太后良い人説で描かれているんだけど、何か事実があったりしたのだろうか
いい人じゃ困るんだよな・・・国際情勢は非情なんだから非情に徹してくれないと
主役が宦官の春児ということで視点が違っているのかも。
国家予算をかけてもこの程度、、、美容技術がない時代、叶姉妹はどれくらいの予算かしわ、、
呂雉の時代も則天武后の時代も、宮中は大変だったけど民衆の生活は比較的安定してたのよね。それに比べて……
呂雉も則天武后も政治的な能力はありましたね。また、彼女たちはブラックプロパガンダの被害を受けていた可能性があります。漢はもちろん漢民族の国ですし、唐も漢化政策をしていました。そのため、漢民族的価値観が強かったと考えられるでしょう。それに比べて、清は漢民族の国ではないです。そう考えると、、、
いやいや、そもそも西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。
北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。
西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。
頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。
これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。
米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。
そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。
残念ながら、貴方の言っていることが理解できませんでした。
この西大后をあんなに魅力的な人物(政治的な面はおいといて)として小説にした、浅田次郎さんって、やっぱりすごい人なんですね( ・∇・)
現実とオハナシを一緒にしてはいけません
則天武后は統治に関しては有能なんだよなあ。何故他の二人と比べられるのか意味わからんレベル。
実は、光緒帝の改革は英国と繋がっていて、西太后は、英国によって清が植民地化されるのを防いだ賢帝だったという説もありますよね?
それに、造園などは、人民に職を与えるための公共事業だったとも。
そのため、人民からはかなり人気があったともいわれますよね。そして、西太后が外見に気を使ったのは、その人気と権威を保つための手段だったのだと。
少なくとも、「眠れる獅子」と言われた中国は、ついに本格的に植民地化されることはなかったのは歴史的事実。
異説がある以上、西太后を「どうやっても評価できない」というのは言い過ぎでしょう。
そもそも中国の非常に広大な領土を全て植民地化できる国は当時存在しません。
あとは、不毛な地も多いため全土を植民地化するメリットがありません。なので、他の国からしたら港湾確保や食料、鉱物資源の確保のため上海や満洲、香港など一部の重要な地域を占領できればいいのです。結局、清は重要な地域を列強にとられ、滅びているんで「西太后はどうやっても評価はできない」は言い過ぎじゃないと思いますよ。
@@太郎冠者-p9d 隣のインドを見て、本当にそう思える?
インドも中国と同じぐらいの広さ(満州と中国沿岸部だけで)
とかなりの人口がいるんだけど
@@茅野カエデ-l4g
いや中国はインドの3倍の面積なんですが…しかもこれ現在の比較なんで清はこれより面積が広かったんで、3倍以上になります。
@@太郎冠者-p9d
分かっていますが、満州人と漢人の版図だけで考えたら、2倍ぐらいですし、イギリス一国でインドを植民地にできてるんだから、列強が分割統治するのは可能だと思いますが
西太后の最大外道エピソード
義和団事件の時西太后は国内にいる外国人を皆○しにせよとというとんでもない命令を出そうとしました。
側近が命令書を処分したため未然に防げましたがその側近たちは処刑されたそうです。
もしこの暴挙が行われていたら間違いなく列強の報復があったでしょう。
悪女ってことは知ってたけど予想以上にやばかった
最近やんか、怖いなぁ戸締まりしとこ
ピンチをチャンスに変える で流石にワロタ
評価されていない人を再評価したいのはわかるけれど、公共工事なら庭などではなく道、病院、学校などいくらでもやることがあるはず。凝った庭は結局、材料代が多くを占め、働いた民に還元される分が少ない(現代でも同じ)。軍との綱引きがあるにせよ、軍備と個人の誕生日を天秤にかける感覚は国のためになるとは思えない。
清を延命したというが、さっさと居なくなっていれば、近代化が進んだかも知れないわけだし。
材料費って言ってもただの石だから、材料調達費は国内の人間に支払われるよ。
国内経済はよくなるんじゃない?
ただ、近代軍をもっと(特に海軍)拡張したほうがよかったけど(最低でも日本には勝てたでしょうし、頑張ればフランス海軍には勝てるでしょう)
@@茅野カエデ-l4g 石のようにプライスレスのものは希少になれば大変高価(言った者勝ち)で1億の工事で材料8千万、人件費2千万なんてことはざらです。そうすると材料を供給する側にお金が片寄り、中間で抜くものも出てくるので、かけた金額の割に作業に従事する平民層には行き渡らないことになります。
一部が潤うだけましかもしれませんが、道路など人の役に立ち、人件費の比率が高いものの方が幅広くお金が行き渡る感じです。
@@001lonestar7
平民にはいきわたらなくとも富裕層が消費すれば結局いきわたるのでは?(トリクルダウン)
@@茅野カエデ-l4g さん
確かに、巡りめぐって行き渡るけど、同じ金を使うなら民の役に立つものを作って欲しいと思うのです。
@@001lonestar7 まあ、海軍や、病院、貧民救済、道路、新式陸軍とかやるべきことは沢山あったけどね
15:06 オーストリア=ハンガリーの皇后エリーザベトと同じですが、エリーザベトは政治にほとんど興味を示さなかった(ハンガリー人については相当同情的でしたが)のに対し西太后はいかにも権力者というべき。
年老いた写真見てもめちゃくちゃキリッとしてるし若い時はめちゃくちゃ綺麗だったんだろな
AIによる若い頃の再現写真があったけど現代でも通用するクール系美人さんだったよ
この辺の歴史は高校世界史で学んだが、通り一辺倒の事件暗記でしか無かった気がします。この動画解説くらいに面白かったら、
近代東洋史を研究する友人も出たかも知れない。
受験勉強は教養や事物の分析力を養う物では無かった。
高校時代の世界史の授業中に、私語をしたりボケっとして授業を受けていた級友もいましたが、彼らももう少しまじめに高校世界史を学んでいたら良かったのではと思います。今後の当人の教養の基礎になりますからね。受験勉強を単に受けていたって教養や事物の分析力を養えないのは当たり前のことで、学んだことを教養や事物の分析力に変えるのは当人の傾聴力や真面目さです。
私は高校の世界史の授業で西太后について先生から習ったのですが、西太后は善政を布いた方であるにも関わらず、当時の欧米列強による植民地化の思惑で事実無根、名誉棄損を受けた女帝です。北京在住の英国人の秘密工作員バックハウスが1910年に著した伝記本があり、西太后を権力欲まみれの人物として紹介されています。でもそれはフィクションだそうで、他国に問題が多ければ、介入できる格好の口実になりますから。
ご存じのように、戊戌の政変は、清に対する欧米列強の植民地化を防ぐ西太后の政治的な判断です。当時、現地に入り込んでいた英国人から、欧米の官僚を政治顧問として受入れるよう働きかけがあったようです。それまでのインドの例を考えても、政治顧問として政権内に送り込むのは、植民地化するための常套手段ですから。
その英国人も、他の清の官僚はともかく康有為を介してなら言うことを聞くだろうと考えていたようですから、康有為はクズです。それだけならまだしも、光緒帝がその受入れに輪をかけて積極的だったようです。この皇帝も相当のクズですよ。
売国的な光緒帝に対しては、西太后も幽閉という手立てを取らざるを得なかったのでしょうね。
また、西太后は、当時の清国人民に絶大な人気があったようです。
北京に降り立った際に人民が歓喜で迎えている写真が、確実な証拠として多く残されています。西太后は在任中に、自身の別荘である頤和園を国家予算で建設させています。頤和園は、皇居と同じ敷地面積の大きな土地建物です。
これは、当時欧米との戦争で家を焼け出されて生活に困窮していた人民の雇用確保による救済措置ですよ。
米国のニューディール政策や日本の戦後の高度経済成長に代表される公共投資による暮らし改善の手法です。そのためか、西太后が没後には大勢の人民が跪いて見送ったそうです。
こうゆうことも私は高校の世界史の授業で学びましたが、貴方の言うように、受験優先で勉強をしてしまうと、出来事や起きた年代に目が行き、歴史上の人物の思想哲学などの本質的なものや出来事の背景や流れがおろそかになりがちですよね。
因みに、NHKの番組で、吉川晃司がナビゲーターを務める「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」という番組があります。過去の科学上の偉人のブラックな面(論争、妬み、足の引っ張り合い、保身等)にスポットを当てる番組であり、私もちょくちょく見ます。まあ、善人を善人として公開しても当たり前すぎて興ざめですから、このような手法もスパイスが利いていいかもしれません。
まあ、西太后含めて善良と認識されている歴史上の人物のネガティブな面をクローズアップするコンテンツには、高校の授業をおろそかしていた方々が飛びつきやすいのかもしれません。